「遊ぶ」って? その2
最近、理科の授業で“実験キット”を使うことが結構あります。「磁石」「豆電球」「空気鉄砲」「風とゴム」など。
理科はずっと専科の先生が教えてくれていたので、自分で授業するのは久しぶりです。
前は、
・実験キット配る
・説明書を見ながら説明(一斉)
・その時間にやる実験を指示(一斉)
・予想させる
・実験
・結果を確認
・実験キット集める
みたいな授業をしてたかなぁ。
当然のことですが、「もっとやりたい」「違う実験をやりたい」「このおもちゃ作りたい」「こんなこと試してみたい」という要求はたくさん出てきます。
でも、こちらの都合(?)があるので、
「今日は、それはやりません。」
「勝手にやってはいけません。」
「まだいじっている子がいるので、次に進めませんね。時間がなくなっても知らないよぉ〜。」
などなど、なんとも残念な感じに。
当然、子供たちには「遊んでいる」という感覚はなかったでしょうね。
最近は、
・キット配る
・「とりあえず、いろいろやってみてね〜」
・「なんか発見したら教えてね〜」
・“発見”共有
・キット集める
みたいな感じ(もちろん、毎回ではないですけど)。
危険なことは事前に注意しておきます(それでも、例えば「ショート回路」作っちゃって、「アチッ!」とやってしまうような子はたくさんいます)。
でも、みんなが一緒に同じペースで同じことをやる授業よりは、明らかに「楽しい」し、「なんか遊んでるみたい」という声も子供たちから聞かれます。
だから、どうせなら子供も大人(教師)も「楽しい」と思える、こんな感じの授業を組み立てていきたいなぁと考えます。「体験から学ぶ」という観点で考えれば、理科にはその要素がたくさん含まれていると思うし、椅子に座って先生の話を聞いてる授業よりは、自分でいろいろやってみる授業を組み立てやすいかなと最近思ってきました。
“実際にやってみる”というのが大切で、「これはこうなるんだよ(塾で習ったもん・教科書に書いてあったもん・知ってるもん)」という子が実験してみたら、そうならないことってあるじゃないですか。
その時に、「は?この道具おかしくね?」みたいに考えるんじゃなくて、「なんでなんだろう?」ってみんなで原因考えるのも立派な学びだと思うわけなんです。
話それますが。
この前、「先生、教科書って先読みしてきちゃいけないんですか?」と質問にきた子がいました。
「え?予習ってこと?サイコーじゃん。バンバン読んじゃってよ。」と答えました。
どうやら、実験の予想を書く時にその子は教科書を読んできていたから結果を知っていた。それを他の子に「ズルい」と言われた、ということだったみたいです。
なるほどね〜。
こういうの、結構「学校あるある」じゃないかなぁ。
・国語の物語文でラストシーンを授業で初見にするために、先を読んじゃダメ(場合によっては教科書事前回収)(例えば、『ごん◯つね』とか)。
・算数の「めあて」を最後に書く(例えば、その時間にやる計算が何算かわかっちゃうと都合悪いとかで…)。
・「今日の宿題」は“家”でやらなきゃダメ。
・「夏休みの宿題」は“夏休み”にやらなきゃダメ。
・水泳の“検定級(いまだにある学校!)”、◯年生が受けられるのは◯級まで。
要は、「勝手に先に進んじゃダメ」みたいなこと。いや〜、おかしいことはたくさんありますね。
とにかく、「楽しい」も大事にしたいな。
基本、教師としての私自身が「楽しい」と思えないときは子供たちもグデ〜っとしてるもんね。